【天文図に込められた意図】キトラ古墳の天文図を読み解く! 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 キトラ古墳後編
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- Опубликовано: 7 сен 2024
- 「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第7回目の今回は、「キトラ古墳」後編をお届けします。
鮮やかな四神の壁画で有名なキトラ古墳。鎌倉時代に盗掘に遭いながら、朱雀や玄武の姿が残ったのはなぜなのか。そして、天井を飾る天文図について、来村先生に詳しくご解説いただきます。
このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。
近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。
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壁画を描いた画家の知識や技術には驚かされます。被葬者が永遠に宇宙に抱かれているという壮大なイメージです。さすが、庶民とはかけ離れた高貴な方のお墓ですね。
おっしゃる通り、素晴らしい技術で描かれた壁画です。亡くなった人のために、先進の知識を封じ込めようとしたのでしょうね。
一度は行ってみたい古墳ですね
コメントありがとうございます。キトラ古墳、ぜひ一度お出かけください。
壁画の内容について、とても詳しく解説いただいて勉強になります。
キトラ古墳の壁画公開にはしばらく行っていないので、また本物を見てみたいという気になりました☺️
キトラ古墳の壁画公開、実物を見られて感激しました。やはり本物の持つ力はすごいですね。
弓削皇子は確かにそうかもと思うところがあります。緯度が低いところから見える星図。勉強になります。今まで高句麗の星図みたいな感じでうろおぼえでした。
私も、キトラの星図は高句麗あたりのものだと思っていました。分析と研究が進むと、以前の説がいつの間にか覆っていたりして焦ります。
@@umemaeSakiko キトラの星図が高句麗由来というのはあながち間違いではなく、その高句麗の星図が中国の星図丸写しってことかなと今は考えることにしました。
民草1号: おはようございます。
いつも、ありがとうございます。
いつもご視聴ありがとうございます♪
日本には、安倍家(土御門家)に代々伝わった「格子月進図」という古代星図がありましたが、戦時中に空襲で焼けてしまいました。しかし、焼失前に撮られた写真が残されており、それを元にした復元図が個人の手で作られました。「光る君へ」の初回冒頭主題歌前に、安倍晴明がこの復元された星図を広げ、星を視て占ってました。
実はこの星図は、これまで詳細な年代推定がなされておりませんでしたが、唐代の初めに、原図から書写され、日本に伝来したものでした。星座名に当時の皇帝の諱をさけている(避諱)ことから制作年代は特定できます。キトラ古墳の天文図はこの「格子月進図」など唐代初めの星図を元に、抽象化された「壁絵」で、星図ではありません。当時の日本には星図を描く技術や知識は無いので、たぶんキトラ天文図の下絵も中国で描かれたものと思われます。黄道を左右逆に写しているのもそれを表しています。
中国の暦法や星図は、暦法の基準値・陽城(北緯約34°)を基準に造られるので、高緯度ではありません。最初の頃どこで観測された星図かが話題になりましたが、どこで観測されても陽城を基準として描かれるので、意味がないものでした。「格子月進図」も陽城の緯度で描かれています。
キトラ天文図は最初高句麗伝来説がありましたが、来村先生も仰るようにその根拠はまったくありません。高句麗説は李氏朝鮮の初めに石板に彫られた「天象列次分野之図」が、高句麗の星図をもとにしていると、その星図の脇に石刻されているためです。しかし、「天象列次分野之図」の特徴は唐末期ののもので、唐から高麗に伝わり、それを李氏朝鮮が引き継いだにすぎません。高麗や李氏朝鮮での星図の修正も激しいです。 それに比較して、「格子月進図」は飛鳥時代の伝来当時から手を加えられていませんでした。
なので、最古の星図というのは「格子月進図」でした。この星図は、飛鳥時代(舒明朝)に北極星を利用して方位測量を行うために伝来したもので、飛鳥の宮が正方位になったのも、この星図のおかげです。また、この星図には、「天皇」という名の星があり「天皇為天心東方神也」(天皇は天の中心を為し東方神である)との記載もあり、この星図から天皇の名称が引かれた可能性も高いです。
極めて専門性の高いコメント、ありがとうございました。大変勉強になりました。詳しく書き込んで下さったこと、御礼申し上げます。専門家の方でしょうか。
職業ではありませんが、格子月進図・古代星図関係では、7年前ぐらいから3本論文を書いてます。また、「格子月進図」の復元図は、復元された先生が福井ではニュースになっていたようです。「40年前の復元星図に光 「格子月進図」大河1話に登場」
「格子月進図」は戦前に見出した方が、歳差の計算を誤って1100年頃の星図としたため、これまで注目をあびなかった不遇の星図ですが、最近は陰陽道の関係で安倍晴明の使っていた星図ということで知名度が上がってきています。しかし、キトラより古く飛鳥時代に遡ることまでは、まだ知られていません。格子月進図はその名の通り、グラフ用紙のように1°間隔の格子を入れた紙に、星図が描かれているため、戦前に発見した方も、近代の星図と思ったと書いています。
奈良県の古墳で初めて見た古墳がキトラ古墳でした。この動画を拝見してから行けば良かったと後悔しています。
コメントありがとうございます♪
キトラ古墳、素晴らしい古墳ですよね。ぜひまたお出かけになってみてください(^-^)
被葬者について来村先生が積極的に唱えないのは、先生はあくまでも考古学者であって、被葬者の比定は日本書紀などを読み解く文献史学の範疇だからということなのでしょうね。素人はよく文献学と考古学をごっちゃにして夢を見がちなのですけれども。
まさにおっしゃる通りです。被葬者については、多くの人が興味を持つところなのですが、考古学者として、そこに積極的に踏み込むべきではないとのお考えのようでした。私は考古学者ではありませんが、見習うべき姿勢と思いました。
来村先生の仰る、高松塚とキトラ古墳の盗掘が同一犯の犯行という説は、真実の探求に大きな影響があると思いました。犯人はキトラ古墳に壁画があることを想定していたことになるからです。
また、弓削皇子の名前が出て来て、ちょっと嬉しくなりました。
ここの被葬者は単独で追っていくよりも高松塚の被葬者との関連して追って行った方がよろしいのではと思っております。
私は梅原猛先生の信奉者ですが、黄泉王(高松塚弓削皇子説)だけは支持できません。梅原先生の論点を進めれば進めるほど支持できないと思っています。近年は高松塚忍壁皇子説が有力のようですが、梅原先生の説を煮詰めていくと高市皇子が最有力だと思っております。築造年代の近い高松塚とキトラ古墳で、一方の被葬者が高市皇子(696年薨去)なら、もう一方は弓削皇子(699年薨去)と思っておりました。
コメントありがとうございます♪
高松塚とキトラの盗掘者は、壁画があることを予想して入ったのではなく、数多くの古墳を荒らしていてたまたまふたつの壁画古墳に当たってしまったのではないかという気がします。(想像ですが)
そして私も、キトラは高市皇子の墓(であってくれたらいいな)と思っていました。(高市皇子推しなので)
また、梅原猛先生の著作には、私も大きな影響を受けました。今では異説も多く出されていますが、古代を思うあふれる情熱は、今も私を突き動かしてやみません。
弓削皇子ですか。それはそうと、2,3年前に、地球は自転していなく、太陽と月が地球の上空を回転していて、太陽と月の大きさが等しい、また、地球がこれらより遥かに大きいという説の動画がありましたよ。また、太陽と地球はプラズマで、できているらしいよ。
地球が自転していないという動画があるのですね。いろいろな動画がありますね。
名探偵コナン🤔
ありがとうございます♪